「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

ニートおめでとー!と言い合えるお互いの心の余裕は大事

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こんにちは。
着物好きゆるりミニマリストのおれんじです。

最近本業の方の同チームの若者が、方向性の違いから退職することとなりました。
そうなった時に、

 

本当に大丈夫?
次はどうするの?
ちゃんと考えている?

 

とか何とか言うのはナンセンスだなーと思っている次第です。
例えそれが、
「何がやりたいか分からないけれど、現在のお仕事はもぉヤだ」
という若い時分にありがちな(わたしも思ったですよ)、曖昧模糊な状況だとしてもですね〜。

取りあえずは、今までちゃんとお仕事をしたことを褒め称えて、後は明日からのニート生活おめでとー!の祝杯ですよ。¡Salud!

 

だってそのひとが今回りにいる職場の人間に迷惑をかけることは120%ない訳でして、
そうなると、もぉこの場では働きたくない、という状況から脱した事を祝ってあげるべきなのではないかと。

そうゆう、最終的には自分で何とかしなくてはいけない状況に、他人が責任を持つ必要はない(持つことはできない)、というドライな感覚を、私は最初のシェアハウスの住人たちから学びました。

 

実際最初のシェアハウスでは、いい歳をした大人たちが、4〜6人くらい、昼間からラウンジでゴロゴロしていましたからね〜。
でも誰も、それおヤバくない?とか言わずに、お金がなくなったら、個々人で動き出して、知らぬ間にお仕事を決めて来たり、
住人の会社を紹介されて再び社会復帰したりしていましたよ。

 

今の状況を楽しんで、ラクをできる時はしておこう、という精神は人生で大事なのではないかと思います。
そうしてそれと同じくらい、その状況を否定しない周囲の環境も大事ですよね。

 

そのシェアハウスは人数が多かったので、比例してニートも入れ代わり立ち代わりで、自分がニート時も遊んでくれる人は周囲に常にいましたし(1日中麻雀をやっていました...)、暮らしにかかる費用もお安いし(神奈川県/最寄り駅から徒歩30分)、無職であることを誰にも責められることはないしで、
あれ、ここって天国かな?とか思っておりました。

 

そいでそれらの人間の間では、お役所関連の情報共有ネットワークがすごかったです。
お役所のかたに「...それどこで知ったんですか?」と聞かれた控除もあったそうです。
聞かなければ出て来ないのがお役所ですからね〜。
ネットでの情報も当然あるのですが、やはり大切なのは、
同じ実体験を持っている、知り合いの口コミですね。

 

ですので一旦は、退職する子を祝ってあげたい、とゆうお話でした。

 

 

...などと言いつつ、でも今でしたら、
ニートになる理由が
「やりたい事がない(それが何か分からない)」

なのでしたら、
そうゆう時はお金を稼いでおくのが良いと思う、とゆう
スガシカオさんが(たぶん)言っていた意見に激しく同意ですけれどね。

 

お金があった方が突然にやりたくなった次のアクション(学校に行きたい、留学したいなどだと特に)を実行し易いことは間違いないので。

まだ全然若い子なので、わたしとしては、ワーホリとかに行って見聞を広めてくれること希望。


いえ、押し付ける気は毛頭ないのですけれどね〜。