「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

緊急で必要なモノなんて、そんなにはない(ので焦らずね)

どうも。

友人が、

「ものぐさだから、例えばコーヒーフィルターがなくなったら、次回の(リアル店舗での)買い物でそれを購入するまで、コーヒーを飲まなくなる(直ぐに手に入れようと大して思わない)、」

と言っており、Amazonから降り気味のわたしとしては、行動としてそれは最適解なのでは…、と思ってしまった。

Amazonから降りる前、部屋の電球が切れた際、
ヤバい、直ぐに購入しなきゃ!
となぜか強く思い速攻でポチり、次の日に届いた時、Amazonありがとー!(こうゆう時本当に便利!)
…とか思ったのですが。

でもさー、別に家全体の電球が切れた訳でもないのに、何をそんなに焦ってたんだい?と今なら思う…。

使っている物(日用品とか)がなくなっても、別に次の日に手に入れなくても良くね?
モノが溢れている中、代用できるモノが何かしら手元にあるのではと…。
(電球だったら、別の場所の電気を点けるとか)

子育てや介護のための道具とかでしたら、直ぐに必要なこともあるかもですが、特に体の不調もなく、自分の面倒を自分で見れる大人に、緊急で必要な物ってほとんどないよな~。

友人は自身のことを「ものぐさ」と評していたが、それくらいの余白を持つくらいでちょうど良いのではと思う。

直ぐに必要!(な気がする)
直ぐに欲しい!(のでポチっちゃう)

という、その「直ぐに」って、ほとんどの場合が、気のせいなのでは…、と思う今日この頃でした~。