「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

トータル10年弱のシェアハウス生活で学んだ事は「多様性に寛大であれ」

気付くとトータル10年弱くらいシェアハウス暮らしをしていました。

始まりは雑誌b*pでの特集「ジンセイを変える部屋。」を読んだ時に、
え。何これ。すごい楽しそー!絶対住んでみたい!!
とゆう衝動が抑えきれずに、当時まだ物件自体がほとんど存在しない中、某シェアハウスを発見し、そこからシェアハウス生活をスタートさせたのでした。
 

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ちなみに今まで住んだシェアハウスはこんな感じです(家賃額は全て光熱費&ネット代込み)。
  1. 横浜近辺(¥65,000)
  2. 大田区近辺①(¥89,000)※英語レッスン付き
  3. 大田区近辺②(¥78,000)
  4. 逗子近辺(¥58,000)
  5. 目黒区近辺(¥76,000)
 
特に最初の横浜近辺のシェアハウスは、当時はシェアハウス自体が少なかったこともあり、旅人、仕事を長期休みにしている人、料理人、ストリートミュージシャンや海外の人複数(仕事で日本に来ていた)など、皆一癖も二癖もある人達ばかりが住んでいたのですよね(シェアハウス=旅人には慣れ親しんだ存在な感じで旅好きが多かった)。

ゆえに皆してお互いの多様性、みたいなものにすごい寛大だったような気がします。
当時ものすごく頻繁に開かれていたパーティーにも、各自の知り合いや、今好きな人や彼・彼女や子供を連れて来ても何の問題もなく、皆がその場を楽しめるって今思うとすごいですよ。
しかもヤなこと(ライフスタイルの相違でちょっとカチンと来ること)があっても、それをユーモアで笑い飛ばしていた空気も素敵だったよなぁ。
ニートになっても、
いーじゃん、いーじゃん、暫くゆっくりしていなよ、と言われ一時期6人くらいニートが居たような…(そいで1日中麻雀やっていた)。
「5時に夢中」の時間帯に職業訓練校に通っていた友人の帰りを、同じメンバーで連日迎えていたのも良き思い出です。

本当に色んな境遇の人が居たからこそ、世間で言われている一般常識っぽいこと(=結婚、出産、就職)なんて、取るに足らない事なのだな、と思えて、人生を行きてゆく力、のようなものを得られた気がしています。
「取るに足らない事」だと頭では分かっていても、実際「そうなのだ!」と強く実感できるとやっぱり全然違いますよね。

更に楽しそうな事ならどんどんやって行こうZE!(お金なんてかけなくても楽しいことは無数にある)というあの独特の空気の元、パーティ、土日のお出かけ(車を持っている人がいた)、漁港へ海鮮を食べに行く、ビリヤード大会、フットサル大会、ワールドカップを皆で応援する(旅した国などによって贔屓の国が皆違う)、麻雀大会、フリマ参加と本当にイベント尽くしだったよなと。
別に皆してお金がない訳では全然ないのですが(大手に務めている人も結構いた)、お金をかけない大人同士の遊びは素敵ですよ~。
どうしたら楽しめるのか、大人の知恵と工夫で勝負なのですね。

当時はLINEがまだなかったので、ラウンジに常に置いてあった連絡ノートでパーティーの予告などをしていたのですが、それらもムチャクチャ冊数を重ねました。
こんな感じでラフなお誘いがあったりもしていましたよ。
 

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そいで何だかんだと10年近くシェアハウスに住んでみたものの、最初の横浜近辺のシェアハウスで全てを体験し尽くして、考え方や感覚はそこでの学びが全てだったような感があります。
その後もムチャクチャ素敵な出会いとかたくさんあって、未だに仲良くしている友人なども多数いるのですけれどね。
何て言うか、続刊を出すつもりではなかったが、予想外に売れたのでその後シリーズ化されたものの、テーマ的には結局1巻で全てが描かれている…、的な?
 
そんなシェアハウス生活だったのですが、テレワークに伴い間取りや物理的な距離感が大変微妙な現在のシェアハウスを退去して、ひとり暮らしをすることとしました。
そうして今ひとり暮らしの部屋の契約などを色々勧めているのですが、
入居まで1ヶ月なら待ってあげられるよとか、
保証人は年金暮らしの両親でも良いよ(最初はできたら保証会社を使ってほしいって言ってた)とか、
れれれ。
この待遇の良さ何なん…?と。
家賃自体がお安いので、おかげで初期費用がだいぶ抑えられそうではあるのですけれど、逆に何かあるんじゃ…と思わない事もないですが、何かあったら、プランBをまた考えれば良いかとし、粛々と引っ越し作業を進めますよ。