「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

会社の飲み会での話題&料理の取り分け文化に思うこと

どうも。

「自分からは飲み会に誘わない」、と強く誓ったはずが、流れて来るSlackがあまりにもグダグダで(どうする?時間があれば?それっていつ?何時頃なら大丈夫?場所はどこが集まりやすい?と永遠に続く)、

もーーーー、とっとと決めようぜ!としてまたしても自ら音頭を取ってしまった…。

そしてやっぱり、

大しておもしろい場でもないな…、とか思っていた。自分がアホすぎる…。

だってさー、皆さん、

◯◯さんって今何してるの?
あーもう離職したらしいよ
いやーあの頃あの人はさぁ…

って話をね!永遠に!してるの!!
ごめんぶっちゃけ何が楽しいか分からない(しかも知らない人の話題が多い)。

もっとわたしの今年の健康診断婦人科オプションの見解とか、
最近読んだ本とか映画とか「進撃の巨人」ファイナルシーズンどうだった?とか、
仕事絡みならせめて、このデザインが良かったよーとか、
今自分がハマっている事とか、
この1年で楽しかった事とか、
飼っている猫さんの話でも良いよ。

とにかくさ、仕事の人員以外の話をしようよ~!

しかも「取り分け文化」が本当にダメだと思った。

遠くて届かなそうだから取るね、とかだったら全然良いのだが、
「時間に遅れて来る人の分を取り分けておく」のって、見た目がうつくしくないな…と思ってしまった。
皿に適当に取り分けた料理たちが、手もつけられずに乾燥して行くのがどうにもダメだー。
潔癖って訳では全然ないのだが。

もうさ、わたしたちはある程度は大人なのだからさ、遅れて来た時に食事がなくなってたら、追加注文すれば良いじゃない、とか思った。

…と、またしてもご不満を抱えての飲み会になってしまった~。

そいで深夜に神奈川県のちょお端っこの最寄り駅に降り立った時に、
こうゆう空気とか、海の音とか、シェアハウスの住人とのちょっとしたコミュニケーションとか、それに付随するイベントが時々あれば今のわたしには充分なのだ!
とか強く思ってしまったのでした。