
どうも。
長年「ファイナルファンタジーVII」のにわかファンをしております。
なぜ「にわか」かと言うと、当時プレステゲームに手を付けたものの、クリアには至っていないからです(すみません…)。
ですがあの世界観とか使用アイテムとか、ストーリーのアウトラインはずーっと気になっており、その後の関連作品をちょこちょこチェックしていたりして。
FF7の関連作品はどれも引きの力がめためた強くて、
「キングダムハーツ(ディズニーとコラボ?!)」とか、
「BEFORE CRISIS(ダークスーツにイエローの背景&強いラインのイラストレーションが秀逸!)」とか、
「CRISIS CORE –FINAL FANTASY VII– REUNION(まさかクラウドが脇役なん?)」とかね。
どれも本当に上手いツボを突いていると思う~。
そいで今更「CRISIS CORE –FINAL FANTASY VII– REUNION」からの「アドベントチルドレン」DVDを視聴したのですけれどね。
世界観はすごいちゃんとしているし、映像もうつくしいし、声優さんもお上手なのに、何でこんなに違和感?と思った理由が、
「美醜」の「醜」がまったく存在しない世界だから
ということに思い至った。
ドラえもんで言うところの、
ジャイアン(大柄で力が強くて歌がお下手=醜)・スネ夫(こズルい=醜)が存在しない世界よ。
ガンダムで言うなら、
F91くらいまでは当たり前のように描かれていた、趣味・人種・髪色・体形・出自・ファッションで個性を発揮しまくっていたキャラクタ設定が、ガンダムWでは完全撤去されていてる世界的な。
通常のアニメや実写だったらそこまで思わないかもですが、
完全リアルCGで作られた全員、スレンダーで、お顔が整っていて、お声がすてきで、毛穴が皆無なキャラクター(モブさえもそう)に感じる、違和感と物足りなさはすごい。
江戸時代愛好家であられた杉浦日奈子さんの言によると、
日本は「醜」や「違和感」に「美」を見出していたそう。
じっさい歌舞伎で男性が女形を演じるのもそれ(男性が女性を演じる=醜 だが逆にそれがうつくしい)であるとのこと。
「美」を「美」と見た所で、何も面白くない。
「美」の裏には「醜」がある。
「醜」に「美」を見出すことこそ逆にうつくしい。
…という話を思い出してしまった。
美醜の対比と言えば、真っ先に思いつくのが岡崎京子のマンガで、
汚くて、痛くて、重たくて、目を背けたくて、でもだからこそ、うつくしいものが本当に本当にうつくしく見えるんだよな。
初期FF7(ガシャポン人形…)から、CG技術はめためた進歩しており、それは本当にすごいと思っていますが、「美」を強く打ち出すためには、「醜」も必要なのだな…、と思った「CRISIS CORE –FINAL FANTASY VII– REUNION」と「アドベントチルドレン」でした。