「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

ジェラスィーが原動力だって良いじゃない

自分は、

基本他人なんて気にしなーい

というスタンスなのですが、

同社・同業種で15歳下の子の方が、キャリアになるよーな案件ばかり振られていて、
出向先のチームリーダーのお気に入りで、
わたしが不得手な部分がお得意だったりすると(逆に彼女の不得手がわたしの得手だったりするのですが)、
そりゃ思う所がありますわな…。

ムサビの通信を調べたり、
TOEICの勉強しようと思っているんですよ、とか言って来たりね。
わたしとやっている事がほぼ被っているのもその一端なのかもしれないですが。

基本的には仲良しですし、
彼女は彼女なりに頑張ってそれらができるようになった、という話も聞いているので、
そこまで、彼女ばっかり何で?とは思ってはいないのですが。たぶん。

でもどうしたって妬みとか、複雑な思いを抱えてしまうのは仕方ないかと思いつつも(人間だもの~)、

大切なのは、

ジェラスィーをポジティブな行動に変換できたり、現状をユーモアを交えて喋れる相手が身近に居るかどうか

ではないかと。

結果、
負けるか~!というジェラスィー(ある意味前向きな)からTOEICの勉強に精を出してたり、信頼できる上司との1on1では複雑な心情を盛大に吐露しているのですけれどね(口外しないでくださいね、と念押して)。

でもそうやって'弱点を認めた上で、それを他者に伝えられる'ってある意味での強さなのだと思っています。

東大卒の知り合いの女性が、
子育て時、絶対自分は虐待的な事をしそうな気がするから心療内科に通っていたんだよね、と語っていたのですがそれに近い気がする。

彼女は優秀がゆえに、できない人間の心理が分からないし、自分の気性の激しさも充分自覚をしていた、という事なのですが。

でもそれをさらっと他人に言える強さをすごい感じた。

だから自分も強いのだ、というのではなくて。
ただ今はそれをできる環境と、語れるだけの性質を自分がたまたま持っていた、ということなのだろうなと。
(弱さを曝け出す事ができずに子育てがあまり上手くいかなかった人間が身内に居るので、逆を辿るとこうなるのかと思っている)。

でもその強さを皆が持てるかというとそれはやっぱり、本当に色んな関連要因があるので、何とも言えない。

ただ自分は今ちょっとラッキーな場所にいるのだとゆうことを甘受しつつ、ジェラスィーをプラスの力に働かせてゆくのだ、と思っております。

いつも話を聞いてくれるみなさん、本当にありがとうございます。