「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

動画や画像を一緒に眺めて、本当に楽しいコミュニケーションがとれてる?とアンケートを取りたい

どうも。

同僚と連日飲み歩いておりまする。

彼女の事がすごーく好き!(箸が転がるだけで笑い合えちゃう)という強烈な感情ではなく、一緒に居て色んな事がちょうど良いね~、と思える感じ。
そして今はお互いパートナーもいないので、時間の都合がとても合うのだった。

だがしかしねー、彼女と居ると、
目の前の相手にスマホに集中されるのが、わたしはやっぱり苦手なのだよな、と再確認する事が多々。

彼女はスマホの画像や映像を見せつつ、自分の好きなものを伝えたいタイプ(だと思う)。

でもそれを探したり観ている間、こちらはまったく面白くないのだよな。
だって完全にスマホに集中していて、受け答えも上の空なのだもの。

たぶん過去わたしが関わって来た相手や現場は、画像や映像をそこまで重視しておらず、自分はその影響を未だ受けているのだと思う。

スマホが普及していなかったメッセンジャー(自転車便)の無線連絡なんて、声だけでいかに面白い事を言うか、に皆命を懸けていたしな。
そいで友人たちも結構な確率で、一緒に居るときはスマホは放置状態だし。
今情報収集に一番使っているメディアもラジオだしな~。

映像や画像(視覚的に分かりやすいもの)に感情を丸投げをして、これ見てよ(見れば分かるから)、って言うのはとても簡単だが、本当にそれで伝わるのかなと思う。

いや一部は確かに伝わるのだが。
でもさ、そっちに気を取られている間、一方が面白くない時間になっているなら、それはミスコミュニケーションではないのかしら。

…とか、書きながら気付いたのだが、
他人がアップした映像や画像を眺めるだけでは、会話にユーモアやウィットさが全然成立しなくて、それがつまらないと思っている気がして来た~。

彼女が画像や映像を取り出さない時の話は確かに面白いのに、何でちょこちょこスマホを取り出してつまらない(わたしがつまらないと思っている、という意味だが)状況を作るん?って事が不満っぽいぞ。

でも、「今はわたしと一緒に居るのだから、なるべくスマホは見ないでほしい(あなたの話はそれがなくても面白いのだから)、」なんて伝えるのは、とても独善的だよな。