どうも。
津田大介さんの「ポリタスTV」の特番、
「【ポリタスTV3周年記念特別番組】北海道百年記念塔に見る「セトラー・コロニアリズム(入植植民地主義)」」
を視聴していたのですけれどね(チケット制)。
前知識としてこっちも観て~、と以下タイトルが紹介されておりまして(こちらは無料)。
「セトラー・コロニアリズム(入植植民地主義)と北海道|解体が始まった北海道百年記念塔。北海道と入植植民地主義との関わりと問題点を研究者とアーティストに聞く」。
おぉ。では先にそちらを観なければね、と視聴するわたし(生真面目すぎる…)。
感想として、
‘苦難の歴史’のような部分も含めて、沖縄と北海道はどこか似ている、ということですね。
(まだ前知識番組を視聴しただけの段階ですが)。
余談ですが、父方の一族が北海道におり、毎年親戚間の忘年会に参加していたので北海道は慣れ親しんだ土地だったのですよね(祖父の遺産があったものの、10人兄弟で分配すると微々たるものだから、それなら親戚一同で忘年会の費用をそこから捻出しようじゃないか、という英断がなされ、毎年北海道のホテルで忘年会が繰り広げられておったの)。
なので北海道の存在が当たり前すぎて、そこを意識的に見た事なんてほとんどなかったのですよ。
だが沖縄旅にハマった時に
北海道と沖縄は何て似ているんだ…、
と思ったのです。
- 漢字の地名が一部全然読めない。
- 旭川在住の叔母達は、本土(本州)の事を「内地(ないち)」と言う。
- 虐げられた歴史がある(戦争や侵略によって)。
- 本土からは切り離された場とされている(独自のカルチャーや歴史観がある)。
という部分で、本当に衝撃を受けたのでした。
そこでさらに書籍「熱源」やYou Tubeで「戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎」を視聴したら、何かもうそれぞれの土地は、
本州とは別の世界という認識だったのだなと。
現代において、本州と北海道・沖縄を、同じ「日本国」として括るなら、それぞれの土地の歴史を国民はもっと知るべきなんじゃないかと思う。
たまたま沖縄にハマったり、
時事に興味があったり、
北海道に親戚が居たのでそれらを知る事ができたのですが、小中学校の義務教育では1ミリだって教わらなかったもんな~。
「義務教育」って寧ろそゆうことを教えないと意味がないのでは?
そいで今コスパや利便性があまりに重視されており、
白か黒か、
0か1か、
みたいなハッキリした区切りや線引が善なのだ、という風潮がとても強いが、
そこに関わっている人達(当事者や子孫、移住者も含めて)の複雑な感情や関係性って、それだけでは割り切れなくて、
それらを知った上で、では現代を生きる我々はどうやって生きるのか、
という事を、皆で必死で考えたり、意見を言い合ったり、痛みの共有をすることが大事なのではないかしら、と思うのだがどうか。
あまりに、「臭い物には蓋」すぎません?
知った上で抱えて生きて行く、
誰しもが考え続けなければならない、
ということにこそ本当に意味があるような気がしてしょうがないです。