「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

自分が教えるより、まだまだ人から影響を受けたり学んだりしたい

どうも。

弊社のデザイン課内での勤続年数と年齢から、お目付け役(下っ端)になりつつあります。
権力なんて皆無だが、管理とか、人を教えるとかそいうゆう部分が増えて来ている状態。

何だかんだで、社内は若者が多いのですよ。

そうなると何が起こるかと言うと、
え?それ知らない!知りたい!と影響を受ける事が少なくなるということ。

年齢なんて関係なく、影響を受ける相手はいるじゃないか、と言えばそれはそうなのだが。

でも現状、社内で話していて、楽しい!と思う事があまりないのだよな(この前関わったPMのかたは、年下だったが本当に学ぶことが多い稀有な存在だった…)。

仕事でそこまで求めなくて良いのではと、我ながら思いつつも、
朝のスピーチに参加していると、
何でこんなに興味が湧かない(ぶっちゃけつまらない)のだろう…と毎回思ってしまうのはどうすれば。

でもじっさい皆さん話す事のプロでもないし、そこを目指す場ではないので、それは当たり前なのかとも思うのだが。

でも毎日その場に参加するなら、良い影響を受ける場に居たいよな~と。

そろそろ教える立場だから…的なことを上のかたから言われるが、それはやりたい人がやれば良いのではと思う。
ただ勤続年数と年齢でそれを割り振るってどうなの?

しかも面倒を見たり教えたりしなきゃダメだと言うなら、まずその方法を学びたい。
自分の経験からのみ(ビジネス的な教育や、心理学なんて学んだことがない)状態で、中途半端なことを教えるのは意味がないのでは…。

技術的な成長云々も、結局は本人がやろうとしないと全然ダメだと思っており、
聞かれたら答えるが、こちらから、あれとかこれをやった方が良いかもよ、というのに意味がないことに気付いてしまった…(華麗にスルーされた)。

まぁたぶん現状として、

自社内・若者

という図式が自分的にイケてないのだろうな。
社外なら若者でも、全然興味深い話も充分にあるものなー。

となると、他人から良い影響を受ける職場=転職、ということになるのかしら?

最近頭打ちだよなーと思う事が多いので、上記感情のメモでした。