「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

書籍「イヴ・サンローランへの手紙」が儚いながらもとてもうつくしい

イヴ・サンローランへの手紙」はファッションデザイナーのイヴ・サンローランのパートナーだったピエール・ベルジェが、亡くなったサンローラン宛に書いた手紙(散文)がまとめられている。

サンローラン存命時は、

その大いなる才能と、
それに伴う名声と、
ドラッグと、
アルコールと、
世間との折り合い的なやつでぐちゃぐちゃになり、関わる皆がものすごく苦しそうなのだが、
ベルジェの手紙には、それらが終わった後の奇妙な静けさと、ひたすらに彼の寂しさが述懐されている。

君のうつろで寂し気なまなざしが、二度と以前のようにはならなかったのだ。
初めの頃にはあれほど陽気で、茶目っ気に溢れていた君のあのまなざし。

キクー、君がいなくてとても寂しい。

(※キクーはサンローランのニックネーム)

また繰り返すが、君にそこにいてほしい。
けれど私は私の青春時代のイヴに呼びかけているのだよ。
何でもする準備があり、フットワークがよく、インテリで、優秀で、あらゆることを愛する自由があり、柔軟で、称賛することを知っているイヴ。

ディオールの埋葬式で出会った20代の2人が、その後50年も連れ添うとはどんな奇跡だったんだろう。
イヴ・サンローランへの手紙」と、タイトルが付けられているが、実際これは恋文なのだと思う。
そうして、邂逅時の彼らの若さや、それに付随する勢いと才能はどれほどだったのだろうとも思う。

最近、
ものすごく理不尽だったり、
汚れたものの中にある(かもしれない)綺麗だった物を見たがっているようで、
何か自分がとてんでもなく不健全な気がしてしょうがないのだが、
それでも彼らの軌跡をもっとちゃんと追いたいと思った。

映画の「イヴ・サンローラン」も再視聴予定。

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そもそも日比谷図書館でこの「イブ・サンローラン―喝采と孤独の間で」を見かけてから、彼らの事が気になって仕方がなかったのですよね。
 
 
ご興味がある方はぜひ。