「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

脳がせっかくあるのだからちゃんと「思考」をしたい

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皆さん、「思考」していますか~。

「思考しないことへのフラストレーション」がおヤバい

長時間のネットサーフィン後のあのダメダメ感は、恐らく
始終受け身でいる事へのフラストレーション
なのではと思っております。

受け身でいる=思考していない
ということですね。

調べものに対してネットの記事を読むと(そこからどんどん深追いする)、何となく思考した気にはなるが、
実は全然思考はしていないというこの現実よ。

サブスク(主に映画視聴)も思考停止状態なのではと思ってしまう

サブスクに対しても同じで、
番組を探す→視聴する
で終わっていると、やっぱり何か不完全燃焼感がある。
1週間に1、2本の映画視聴ならそれほど気にならないのですが(楽しかったーで完結できる)、1日に2,3本(一気観も含め)となると、
れれれ。わたし何もやってなくね?と思ってしまう。

でも映画館に行った場合その感覚はあまりないのですよね~。
映画館は、「その場に行く・居る」、という「体験」も伴っているからなのかと。
あとはスクリーンへ向かう集中力が、心地良いのかとも思われる。

楽な方向に流されてしまう意志の弱さ…

いや~、でも実際受け身でいることって本当に楽で楽で楽で。
実際始終受け身状態でも、普通に生きていく事は全然できるのですけれどね。

でもそれでは嫌だと、わたしのゴーストが囁いているの。マジで。
このゴーストの囁きは、ネットがない時代を知っているがゆえだと思われるのですが。


www.youtube.com

スクショや画像検索が存在しない時代、アニメや漫画でお気に入りのシュチュエイションやキャラクターを手に入れるために、わたしは絵を描いていたのだった(描いて手に入れる、という感覚。逆に言えば、それしか方法がなかった)。

物がないのは不便だとは思うのだが、だからこそ得られる事もあるのだと思ったり。

思考しないことへのフラストレーションの解消法

そうしてそんな「思考しないことへのフラストレーション(始終受け身でいる事)」を解消できる方法は、やっぱりリアルワールドでの

  • 思考
  • 創作
  • 交流

なのではと(わたしの場合)。

今コロナ禍でおうち時間が増えて、
リアルでの交流が減り、加えてネットに費やす時間も増えてしまったので、こんなにうにゃうにゃになっているのだよな~。

コロナ以前は、2週に一度は人と会ったり、お酒を飲みに行っていたもので、
それがなくなり手元に残るお金が増えたものの、
どっこいそれらがあったらから、わたしのバランスが上手くとれていたんだなーとか、改めて思う次第。

思考しない=「マトリックス」の世界に近いようなそうでもないような

思考停止について言えば、
現状大多数において、
賃金はそこまで高くないが、
娯楽のサブスクもある程度はお安くて(昔のレンタルビデオの価格(1本1,000円くらいした)に比べると夢のよう)、
パンを求めてデモを起こすほどの生活困窮状態ではなくて、
そんな中でも現実世界では政治と経済はしっかり動いているのだが、
でも政治には積極的に参加をしない(興味がない)間に、政治家が好き勝手するって(この表現、語弊があったらすみませんが…)、
これ薄っすら「マトリックス」の世界なんじゃね?とか思っておるだがどうなのでしょう。

せっかく脳があるのだから、死ぬまでにちゃんと使い切りたい。

いったんは一人がけソファを部屋の中央付近に移動させて、
スマホとPCをそこから遠ざけて、
思考したり、創作しやすい環境を整えるところから始める。