4月〜今月まで微弱ながら平時より貯金額が増えました。
要因としては、
飲み会なし、
外食なし、
お出かけなし、
買い食いなし、
化粧や身繕いをする必要なし、
となったので、恐らく平時より3〜5万円くらい多めに貯金ができていました(とは言え、残業はがっつりなくなったので史上最大にお安い月給だったのですけれど)。
...なのですが、貯金が増えてハッピー!なんて手放しには全然喜んでおらず、それらの金額を払ってでもやっぱり外で楽しい事がしたい、人間だもの。
いざとなった時のためにお金はあった方が良いと思っていますけれど、それでも純粋に、一生テレワークでOK!とか思えないのは、感覚が古いのかなと。
...なのですが、貯金が増えてハッピー!なんて手放しには全然喜んでおらず、それらの金額を払ってでもやっぱり外で楽しい事がしたい、人間だもの。
いざとなった時のためにお金はあった方が良いと思っていますけれど、それでも純粋に、一生テレワークでOK!とか思えないのは、感覚が古いのかなと。
今はコロナが収まった後を楽しむためのためにお金を貯めておくターンなのだと思いつつ(スガシカオもやることがない時は、いったん貯金しとけって言ってた)、それでも何か日々鬱々とする感は否めないのです。
ところでこないだ所用で出かけた場所は、
空気が綺麗で、川のせせらぎが近くにあって、樹齢二千年の大樹がある場所で蝉が鳴いていて、
あー、やっぱり夏って良いなぁ...ととても強く思ったのですよね。
でも都内の自室で同じように蝉の声がしても、全然同じ感覚にはならない。
クーラーの効いた部屋にいるだけでは、例え綺麗な本や素敵な海外の風景を映像などで観た所でも、やっぱり五感への刺激が圧倒的に足りていないんだろうなと。
通勤時には何だかんだで外の空気を感じて、あれ、これはちょっとだけ旅気分かも、なんても思っていたような気がしますしね。
「さぁ、新しい生活スタイルを!」とか言われても、ニュータイプにはいきなりなれず、オールドタイプのまま、まごまごしています。
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