「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

猫も杓子もChatGPT(AI)でちょっと怖い

どうも。

最近友人の間で、ChatGPTや生成AIが話題に上がります。
おおよその感想として、

使ってみたら意外と良かった、

というものが多いです。

  • 全肯定してくれる
  • 相談に乗ってくれる
  • アイディアを出してくれる
  • イメージ画像を作ってくれる

という部分が重宝みたいです。

でもなー、現時点でわたしの中では、いまいちAIに乗りたくないと思っている…。

学術書のサマリーを作ってくれるとかは、仕事によっては有意義なのかと思いますが、友人等が挙げたメリットはわたしにとってはメリットではないのだよな。

そもそも放送大学を始めたのも、
自分の頭で考えなくなることがおヤバい!
という何かとんでもない危機感を突如抱いたからだったもので。

友人たちが挙げたメリットって、基本自分で考えること放棄する事じゃないか?とか思ったり。

自己肯定感を上げることは大事だと思うが、全肯定されたら良いのかと言えばそうでもない。
とは言えAIに「ちょっと否定もしてほしい」とかを学ばせれば、否定要素も入るのだろうけれど。

というか、人(AI)に何を言われようと、結局自分が納得できなければ自己肯定感は上がらない訳で…。
あ。でもAIに肯定されることがきっかけで、納得感が得られたりするのかな~。

画像生成とかアイディア出しも、その過程を含めてモノづくりって楽しくて(同時に苦しい)、充実するものなんじゃないのか?

短時間で物事が完了できるって、コスパやタイパに優れているということだとは思うが、じゃあその空いた時間で何をするのか問題もあり(その時間でオンラインゲームやSNSに耽溺するなら、意味があるのかとも思うし)。

とか、今はこんな事言っていますが、先の未来では自分も
AIメチャ便利!使わない意味が分からないよね~、
とか言っているかもしれないが。

でも2025年5月21日(水)時点の自分は、まだそんなこと思えていないよ、というメモとしてのブログ。

しかしこのまま行くと本当に「マトリックス」の世界になりそうだわ…。
あの世界ってある意味ではディストピアだが、ある意味ではすごいユートピアなのだよね。