「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

「貨幣」の代わりに「労働」でも支払いができた方が幸せな社会になれそう

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こんにちは。
着物好きゆるりミニマリストのおれんじです。

ところでシェアハウス内は現代の貨幣経済社会の中にありつつも、以下の物はお金と同等の価値として許容される場合があります。

  • 労働力(パーティー後の皿洗いや準備のための買い物)
  • 食材の提供(使い途中の野菜やお肉などでも良い)
  • 料理の提供(持っている食材で何か作る)
  • 酒類の提供(貰い物などでも良い)
  • デザートの提供

(※家賃支払いなどではなく、主にパーティー時などの話です)
上記のうちのどれかを提供することにより、あー、今はちょっと手持ちがないかも、とゆうタイミングでパーティーに参加しても、白い目で見られたりしません。
「労働力」でしたら、シェアハウスに住んでいたりする人は、ほとんど誰でも提供可能ですしね~。

よく昔のRPGや漫画アニメで見かけた(と思う)
散々飲み食いした後にお金がないことに気づく

皿洗いで勘弁してもらう
とゆうシステムと同じですよね。

そいでたぶん昔は社会全体でこうゆう事が受け入れられていたのではないかと思っているのですがどうでしょう。
お金以外のものでも「それに見合う何か」を提供する事により、自身を卑下したり、周りが特に不公平だと思ったりしない環境の方が生き易いような気がしています。

そう考えると、そういったシステムがまだ普通に機能しているシェアハウスは、結構貴重な体験ができる場なのではと思ってしまいました。