デッサン教室に通い始めて3ヶ月目に突入しております。
絵を描いているときは無心になれるでしょ?(それって素敵な時間でしょ?)、とは、高校時代の美術教師の言なのだが、
そんなことねえ、常にもう1人の自分がいて、会話しているぜ。
あー、また想像で描いているでしょー、
とかの、ツッコミ系がもっとも多く、
他、先生に指摘された箇所を直している時は、
立体感ー!
奥行きー!
線が行方不明ー!
まっすぐ、まっすぐ。
いやこれまっすぐじゃね?(←まっすぐじゃない)
…とか心の中が終始忙しないのは、集中できてないからのどうなの。
そして入会検討中の見学者が毎週結構おられる。
わたしは昔からそこそこ美術関係は得意で(手前味噌で恐縮でござる)、
絵は好きで描いていれば上手くなる、お金をかけて習うものではない、という謎の信仰を長年持っていたもので、
社会人の絵に対する興味・関心の高さ(習いたいという思うこと)に驚いておりまする。
じゃあなぜ今改めてお金を払って習いに行っているのかと言うと、
・いつでも描けると思っていると、ネットに時間を溶かし続けてしまう、
・コロナ禍で「死」を身近に感じ、何も形にしない人生は死んでも死にきれないよなー、と謎の焦燥感を持った
という理由からなのですね。
明日できることは今日やらない、って人生に大いなる後悔を残しそうで、ここまで来てやっとビクビクしていますよ。
そいでデッサン中は、みなさんしん、としてカンバスに向かっている訳なのですが、
経済界から見たら生産性が皆無だとか言われて、
もし戦争なんかがが始まったら真っ先に淘汰されるのは、こうゆう文化・芸術分野なんだろうなーとか、
これまたしょうもない事を考えています。
まぁでも今は戦中でもないのに、漏れ聞くこの国の教育分野は、他国に比べて良質とは言い難いとも思うのですが。
一生経済成長だー!おー!とか音頭をとるより、
お金がそこまでなくても心豊かに生きられるための教育(思考)、みたいなものが必要なのでは、とか思うのですがどうなのでしょう。
それってやっぱり学問・芸術・文化なのではと思うのですが。
生産性や効率性(資本主義経済)から、大きく外れたもの、むしろそこに属さないものは素敵です。
最後にタワレコのポスターの坂本慎太郎さんのお言葉と画像をペタリ。
音楽は役に立たない。
役に立たないから素晴らしい。
役に立たないものが存在できない世界は恐ろしい。