「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

来週からテレワーク開始、とゆう週末は何かすごい「放課後オーバーフロウ」

 

時差出勤などにし、会社で業務継続していた弊社でも遂にテレワークが開始されるようです。
チーム内を第一陣(次の月曜から開始)と第二陣(再来週から開始)に分けてのスタートです。

第一陣のメンバーとは、4/3を最後にいつ会えるか分からなくなるので(メールやチャットでは普通に繋がれますけれどね)、でもこのいったんの別離の感じは、今まで味わったことがない感覚だと思っています。

今までの信条としてどんな別れにでも
これが今生の別れではないのだから、
と思って来たのですが、今回は一部そうならない部分もあるのかもしれない(今生の別れの可能性が決してゼロではない)、というのは今までほぼ経験したことがない感覚だと思っています。
そいでそう思う相手が、祖父母など自分と年齢が大きく離れている相手ではなく、同世代というのも何か未知です。

同僚との別れ際に、
「放課後別れたら明日は もう会えないかもしれない」
という歌詞が咄嗟に浮かんでしまいましたよ。

いえ、全然放課後とかではなくて、前後の歌詞も関係ないのですけれどね。
でも何か「当たり前すぎる日常」からゆっくりと切り離されて行く感じが、色んな意味で印象的であると同時に、それでもそれはただの日常であるとも思える奇妙な感じです。

今まで世界を動かしたような局面の数々も、きっと日常の延長に繋がっていたこうゆう奇妙な感覚が伴っていたのではないかと考えてしまいました。

同僚の皆に、また何事もなかったかのように再会できることを願いつつ。