「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

東京には何でもあるが、そのすべてにお金がかかる

どうも。

飲み会参加のため、お久しぶりに東京に行ってきましたー。

待ち合わせ時間まで、日比谷図書館で色々なこと(勉強・レポート構成案出し・読みかけ本消化・動物の絵を描く)をしようと意気揚々としていたのですが、半分くらいしかできなかったです…。

いったん手をつければ進む事は分かっているのに、受け身(ラク)な事ばかりに取り組んでしまう。
ほぼ読書で終わりました…。

このあたりでも読みますかね…。

それにしても日比谷図書館は本当に本がたくさんあるのですよね。

これ気になってたやつー!という本がその辺にさらっと置いてあるのがすごい。

このあたりとか。

 

 

ECサイトと違い、目の前にリアル本が大量に並んでいて、そこから自由自在に選べる素晴らしさよ(中身の確認もすぐできる)。

www.library.chiyoda.tokyo.jp

それにやっぱり東京は何でもある、…感じがする。

居住地近辺にはない「靴下屋」も、プール付きのジムも、たくさんの映画館もあり、展覧会も各所で開催されている。
トークイベントなども都内開催が多い。

都内にまた住んだら、それらの恩恵を享受できて、飲み会後もすぐに帰宅できるよな~(飲んだ後長時間電車に揺られ悪酔いすることもない)、とも思うのですけれどね。

でも心のどこかで、
それら(欲しいものがすぐ手に入る・施設などが充実している・帰宅がラク)って、そんなに重要なこと?
と思う気持ちも拭えず。

カルチャーにかんたんにアクセスできるのはとても魅力的ではあるが、よくよく考えるとほぼ全ての事に対してお金がかかるのですよね。

そんなお金を持っていないですし、お金がないと楽しめない事ばかりって逆に貧しくないかな?とも思ってしまいます。

そうなると、やはり都内は「時々遊びや買い物に行く場所」で、
「暮らす場所」としては、気軽に散歩ができる景色が良い場所や、美味しい野菜がとても安く手に入る直売所などがある方が良いような気もする…(カブが大玉4個で180円とかで売ってる。価格破壊)。

そいで、会おうよ、となった時に、「話す場所確保」のためにお金を払うのもそろそろやめたい。

わたしとしては家飲みで充分なのですが、シェアハウスなので自室にその広さはないし、都内から1時間半近くかかるので、現状は難しいのですけれどね。

いつか是正したい。

…という事を、終電で最寄り駅に降り立った時に思いました(とても静かで空気が冷たかった)。