「確認」した?

人生で大切なことは、自身での「確認」である、という心情の元、気になったもの・ことへは、全力で駆け寄って行きます。

学問にハマったり、各地を訪れたり、本を出したり、革命に参加してみたいと思った「アナキズム入門」読了

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「もう革命しかないもんね」をとても楽しく読んでしまった身としては、とーぜん同作者著(森元斎さん)の「アナキズム入門」も嬉々として読んでしまうのだった。

社食で堂々と読んでいても思想犯だなんて思われない(そもそもみんなスマホに夢中で周囲を見ていない)日本は平和…ということになるのかしらん。

内容としては、過去の海外のアナキストたちを大変軽妙なトークで紹介しております。
全員ムチャクチャ楽しそうな人生ですな…!

実際、
不当逮捕をされたり、
監獄に長年繋がれたり、
そのせいで病気をしたりと、皆さん生死ぎりぎりのラインを彷徨ってはいるのですけれど。
それでも革命が起きそう、とか、共感する思想の人たちが集まっていそう、という情報をキャッチすると、その場に出かけて行く熱量とフットワークの軽さが堪らんぜ。(まだ交通手段が限られてる時代なのに。)
そいで皆何かしら学問を深く学んでいて、偉大な本を出版しているのもすごい。

本を出版する、移動をする、とかわたしの憧れポイントが過ぎる。

おヤバいことに(?)、
次はこれがやってみたいかも~、という衝動が沸々と湧き上がる瞬間を感じてしまった。
とは言えいきなり、
革命だ!
コミューン作りだ!
なんては言いませんよ。
いったんは、アナキズムとか哲学について学びたい。
まずは本からなのだが、大学講座とかも探していきたい。

そいですごいライト版のコミューンは、実はシェアハウスなのではと思っている。
何せあそこは、「労働」と「貨幣」が同等な価値で存在した稀有な場所。
家賃支払いは不動産会社が握っていたので融通は効かなかったが(それでも滞納には寛大だった)、
各種パーティー、大人の遠足(レンタカーで遠くの漁港へ魚を食べに行く)など、
何か楽しいことをやろうかね、とした時、手元にお金がなくても、買い出しの手伝いや皿洗い、車の運転など何かしらの「労働の提供」をすれば、あいつは金を払わないから次回から誘うなよ、なんては言われない(そもそも設定費用がムチャクチャ安い)。

他にも「Take free」のスペースを設けて、まだ使える不用品を交換し合ったり、
礼装用バッグを貸し借りしたり、
地元から野菜・果物が送られて来たら皆に提供したりと相互扶助。
お礼は食べ物・お酒、料理の提供などで、そのサイクルで永遠と回る世界。
無駄な出費や、もっと元を正せば環境エネルギーの消費が抑えられる。
消費社会からの脱却の答えはこれなのでは?、と思うこと然り。

しかも人が集うと楽しいことを考える人も比例的に増え、サッカー部(近所の公園)、麻雀部(シェアハウスのラウンジ)、秋のスポーツ会(市の体育館利用)、流しそうめん、真夏の屋外パーティー、ガンプラ部など、費用をほとんどかけなくても、楽しい大人の遊びが満載。

消費以外の娯楽を楽しみたい、
人とコミュニケーションをとりたい、
そんなに働きたくない(もしくは給与が上がる見込みがほぼない)、となった時に、シェアハウスは選択肢のひとつとしてとても有効なのではないかと思うのだった。
(コミューンの概念合ってます?)